夕張岳の生いたちと蛇紋岩メランジュ
夕張岳の生いたちと蛇紋岩メランジュ
中川充(産総研北海道産学官連携センター)
「山と花」
山がなければ高山植物はありません。この当たり前のことを皆さんは忘れていませんか。今まで沢山の高山植物が天然記念物に指定されてきました。しかし、高山植物を育んだ山も一緒に天然記念物の指定を受けることになったのは、夕張岳が初めてです。それは、山そのものが大変珍しく、そしてそのせいで珍しい高山植物が育ったからなのです。夕張岳は、大雪山などの火山とは違い、噴火でできたわけではありません。私達の生きている地表は、お鰻頭を地球にたとえると表面を覆う薄皮の上に当たります。地球の薄皮を地殻と呼び、夕張岳は地殻の大規模な運動によって盛り上がってできました。こうした大きな地球の動きと可憐な高山植物の関係をこれから探っていきましょう。
「夕張岳のおいたち」
夕張市のシューパロ湖や丁未公園など西側から見る夕張岳は、手前に前岳(1501m) のとがった峰があり、その奥に夕張岳本峰が肩を張ったようにどっしりとそびえています。夕張側から登山道を一時間ほど登ると、道がだんだん急になってきます。これは、手前に見えた鋭い前岳の中腹にさしかかったからです。この急な地形は、枕状溶岩と呼ばれる岩石からできています。この岩石は、恐竜のいた大昔(一億数千万年前の中生代)に深い海の底で噴き出した溶岩だったのです。(I)。海中で流れ出した高温の溶岩は柔らかなチューブ状になって広がって行き、それがいくつも重なりあって西洋枕を積み重ねたような岩石ができます。これが枕状溶岩です。冷水の沢から憩沢までの途中で、岩肌が出ている所(露頭)はこの石です。丸い溶岩のしっぽが見られることでしょう。
それでは、どうして海底の岩石が立派な山脈となったのでしょう。それは、まずこの溶岩の上に砂や泥が固まった堆積岩層(アンモナイト化石で有名な蝦夷層群)が重なります(Ⅱ)。その後に、簡単にいえば地球規模の運動によって地殻が左右から押され、上向きにたわんで(摺曲) 一筋のシワのように上昇したのです(Ⅲ)。ですから、枕状溶岩の上に溜まったより新しい時代の堆積岩が夕張山脈の東西両側にあるのです。こうした構造を背斜構造とよびます。
背斜構造の芯(軸)に当たる枕状溶岩は両側の堆積岩より堅いので、長い間の雨や雪や風による風化・浸食作用に耐えて残り(差別浸食)、ついには山脈となりました(Ⅳ)。こうしてできたのが、夕張山脈の最高峰である芦別岳(1727m) です。
「夕張岳の岩と地形」
前岳から夕張岳にかけては、なだらかな平原の上にガマ岩などの岩がのつかっている独特の地形(ノッカー地形)を作っています。これが夕張岳を中心に広がる「蛇紋岩メランジユ」という珍しい地質現象で、高山植物とともに天然記念物の指定を受けることになりました。蛇紋岩メランジュとは、蛇紋岩中に様々な種類や大きさ・形の岩魂(岩石ブロック)が点在するものをいいます。柔らかい蛇紋岩は浸食作用によってなだらかな平原を作ります。しかし、ガマ岩や釣鐘岩、そして夕張丘山本峰をつくる岩魂は硬いのであまり浸食されず、平原上に突び出して残ったのです。これも差別浸食の結果です。
蛇紋岩は、元々地殻の下のマントルにあった重くて固いカンラン岩でした。それに、壮大な地球の運動によって水が加わると、柔らかく軽い蛇紋岩に変わります。蛇紋岩は、マントルから地殻に上がる途中の岩塊(変成岩や枕状溶岩が多い)を取り込んで一一緒に持ち上げてきました。そして、お鰻頭の薄皮に一筋の感り上がったしわを作るような地殻の摺曲運動と一緒になり、つい運動と一緒になり、ついには筋状の裂け目を作って蛇紋岩のアンコがはみ出して地表に顔を出したのです。(V)。
「夕張岳の勇姿」
南富良野町の金山ダムからは、荒々しい夕張岳本峰の東斜面を見るととができます。実は、この大きな夕張岳山頂ブロックは高山植物にとって重要な役割を果たしているのです。蛇紋岩は柔らかいので崩れやすく、普通なら長い年月の聞には山でなくなってしまいます。ところが夕張岳の場合、東側を巨大な夕張岳山頂、ブロックに守られ、西側は前岳の硬い枕状溶岩層で城壁のようにはさまれたおかげで、蛇紋岩メランジュが標高の高い所に広く保たれているのです。くど蛇紋岩は、苦土(マグネシウム)や鉄の成分が多いので超苦鉄質(超塩基性)岩と呼ばれ、植物にとって栄養分の乏しい土にしかなりません。さらに、山岳地帯の厳しい気候条件も加わって氷河時代からの生き残りである高山植物しか生息できない環境となっているのです。でももし、山が低くなって暖かくなったり、土に、栄養分が増えたりすると、より強い平地の植物が侵入してきて高山植物はやられてしまうでしょう。つまり、珍しい高山植物を守り育ててきたのは、気の遠くなるような長い間かかって作られぜつみようてきた大地そのもの、夕張岳の生いたちの絶妙さだったのです。大自然が東西で協力しあって作り上げてきた夕張岳の蛇紋岩メランジュと高山植物は、夕張岳の東西に住む方々の努力と協力で天然記念物に指定されたことに似ています。自然に学ぶことはまだまだたくさんあります。ですから、できるだけ自然は自然のままにしておきましょう。そして、人目に付かない地味な石や土にも立派な役割があることを知って
いただければ幸いです。この説明は一九九三年に北海道自然保護協会が発行した「夕張・芦別の自然」に八木健三先生と書いた文章を基礎にし、イラストを再使用させていただきました。
夕張の地質遺産地質百選とジオパーク
私たちは大地の上に暮らしています。その大地にはいろいろな特徴があって独特な景色を作っています。多くの観光地には火山や温泉がありますが、これらは生きている地球の象徴でしょう。しかし、噴火することもあれば地震や地すべりなどの被害をもたらすこともあります。
それもこれも『地質』一大地の性質、による所が大きいのです。そこで日本全体から、地質現象のよくわかるところを百ヶ所選び出し、広く知っていただくことにしたのが「日本の地質百選」です。地質百選といっても、2007年に選出されたのは全国から83ヶ所でした。これらのうち、道内からは次の七ヶ所が選ばれました(地質情報整備・活用機構のHP:https://gupi.jp/
・知床半島
千島列島から続く火山列のひとつ。ドーム型の羅臼岳や硫黄を流出する硫黄山などは活火山。温泉も豊富。
・白滝黒曜石
約二万年前の大石器工場。東洋最大の黒曜石の原産地だった。道内各地や本州、シベリアでも発見される。
・神居古運渓谷の変成岩
摺曲構造の見られる青色片岩や緑色片岩は、地下深所で低温高圧型の変成作用を受けたことを表わしている。
・夕張岳と蛇紋岩メランジユ
北海道は東北日本弧と千島弧が衝突合体してできた。蛇紋岩メランジュは衝突前のプレート沈み込み帯の深部。
・夕張の石炭大露頭
明治二一年(一八八八)年、坂市太郎が発見した石炭の大露頭。夕張炭田発見の契機となった。
・幌尻岳と七つ沼カール
海洋地殻と島弧性地殻が衝突してできた日高山脈の最高峰。カールやモレlンなどの氷河地形がよく観察される。
・有珠山・昭和新山
有珠山は二万年近く前から噴火し続けている。1944年、山腹の畑が噴火し始め、250mの昭和新山となった。
大阪府のように一件も指定が無い都道府県もあるので、夕張市のように一つの市に二件の指定があるとは、地質に深く関わってきた縁を感じますね。百名山の全てに登ろうとする人たちがいるように、全国から夕張の地質百選を訪れる人が増えることを期待します。
さらに国際的な取り組みとして、ユネスコが支援するジオパークの指定があります。ジオパークとは、科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産を複数含む一種の自然公園です。ジオパークでは、その地質遺産を保全し、地球科学の普及に利用し、さらに地質遺産を観光の対象とするジオツーリズムを通じて地域社会の活性化を目指します。
2004年には世界ジオパークネットワークが設立され、現在では50ヶ所のジオパークが、参加基準を満たすものとしてこれに参加しています。日本からは、洞爺湖・有珠山、糸魚川、島原半島が第一回目の推薦候補として選ばれたところです。これに引き続き、日本ジオパークへの登録審査も進んでおり、北海道からは、洞爺湖・有珠山のほかにも白滝地域とアポイ岳のある様似町が登録を済ませ、活発な活動を行っています。
豊かな夕張の自然とその土台となっている地質・地形を保存し、その地域の価値としてみんなに知ってもらい、地球科学や環境問題に関心を持ってもらうきっかけになればと思い紹介しました。将来的には、二つの地質百選を地域の新たな資源と考えて、文化遺産なども含めたジオパークへ発展させ、持続可能な地域の発展に貢献できれば最高ですね。